<止まった刻 検証・大川小事故>第4部 緊迫(5完)濁流一気に「大丈夫がや」

津波は松林や家屋をのみ込みながら大川小に押し寄せた。現在、学校周辺は更地が広がる=2月19日、石巻市釜谷 新北上大橋周辺に襲来した津波=2011年3月11日午後3時42分ごろ、石巻市(市提供動画の一場面)

 東日本大震災による津波で、宮城県石巻市大川小は児童74人と教職員10人が犠牲となった。学校から約3.7キロ離れた沿岸部を襲った津波の目撃情報は、校庭で待機する教職員らに伝わり、情勢は一挙に緊迫する。第4部は当時の児童や住民らの証言を基に、3月11日午後3時25分ごろから津波襲来までの状況を再現、検証する。(大川小事故取材班)

◎15:25~津波襲来

 「津波が迫ってきました」「逃げてください。逃げてください」
 石巻市河北総合支所の広報車1号車の菅原秀幸さん=当時(51)=が、拡声器で必死に呼び掛けた。
 場所は北上川右岸の堤防道路(三角地帯、標高6~7メートル)。直線で約150メートル先の大川小には、まだ教職員11人と80人近い児童がいた。
 津波を目撃し、Uターンした1号車は3月11日午後3時30分ごろまでに三角地帯に到着した。山田英一さん(63)は、2、3号車の職員4人とともに沿岸部に向かわないよう交通誘導に当たった。
 「雄勝方面に逃げて」。内陸部に逃げるよう繰り返し説得したが、車7、8台が制止を振り切り、津波が迫る釜谷方面に行ってしまったという。
 山田さんが三角地帯で車を降りた時、沿岸の長面(ながつら)方面に津波は見えず、北上川の異変にも気付かなかったという。
 交通誘導の間、北上川の水かさが増してきた。
 2号車の及川利信さん(64)は、水面が盛り上がっている様子を見た。三角地帯は山の急斜面に接しているだけで、津波襲来時に逃げる場所は他にはない。「絶対に津波が来る。ぎりぎりまで誘導して、山に駆け上がろう」。及川さんは覚悟を決めた。

 長面や釜谷方面から逃げてくる車や、引き取った大川小の児童を乗せて避難する保護者の車が次々に三角地帯を通り過ぎた。
 当時中学1年の木村優斗さん(20)=大学2年=は、当時5年の弟とともに父親の車で学校を出て三角地帯側に向かった。
 北上川はあふれんばかり。全長約565メートルの新北上大橋に海岸沿いの松林から運ばれてきた流木が引っかかり、漁船が衝突した。「あ、やべえ」。木村さんは身の危険を悟った。
 木村さんの車は支所職員に誘導され、雄勝方面に向かった。後方の知人男性が運転する軽トラックはかろうじて無事だったが、後続の2、3台は波にのまれるタイミングだったという。
 上流の水位計データに基づく推算値によると、新北上大橋の第1波のピークは午後3時32分ごろ。濁流が大橋近くの堤防(標高6.9メートル)を一気に越えてきた。
 北上川から水の塊が並行する富士川に「ドンと落ちた」(山田さん)。そのまま三角地帯めがけ、押し寄せてきた。
 「逃げろ!」。山田さんは、1号車の車内にいた菅原さんに向かって叫んだ。慌てて車外に出ようとする菅原さんの姿が見えた。
 山田さんたちは、コンクリートで固められた斜面と地肌の境目付近を一気に駆け上った。3号車の佐藤圭一さん(59)は首まで水に漬かったが、一命を取り留めた。支所職員6人のうち、ぎりぎりまで避難を呼び掛けていた菅原さんだけが犠牲になった。

 黒く濁った激流が北上川の両岸に一気に広がる。がれきや流木がぶつかり合う。ごう音が響きわたる。上流にある間垣地区の堤防が約800メートルに渡って決壊し、集落全体をのみ込んだ。
 3号車の佐藤幸徳さん(57)はデジタルカメラを取り出し、眼下に広がる光景を動画に収めた。防災担当として災害記録用にカメラを携帯していた。
 「学校大丈夫がや? 学校」
 おびえと不安が入り交じった佐藤さんの声が動画に記録されていた。


2018年03月04日日曜日


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