<止まった刻 検証・大川小事故>読者からの反響 「子どもの命」ともに考える

河北新報社に寄せられた手紙やメール。読者の熱い思いがつづられている 震災1カ月後の大川小。校門には数多くの花束が手向けられていた=2011年4月17日、石巻市釜谷 震災から7年近くたつ今も、多くの人が亡くなった児童や教職員を悼み、手を合わせに大川小を訪れる=2018年2月24日、宮城県石巻市釜谷

 長期連載「止まった刻(とき) 検証・大川小事故」は、東日本大震災の津波で児童74人が死亡・行方不明となり、教職員10人が亡くなった事故を取り上げた。戦後最悪とされる学校管理下の事故はなぜ起きたのか。第1部「教務主任の3.11」、第2部「激震」、第3部「迷い」、第4部「緊迫」の計21回をこれまで掲載し、「なぜ」に迫ってきた。1月の連載スタート以来、取材班には手紙やメール、ファクスで読者から多数の声が寄せられた。その一部を紹介し、連載のメインテーマに据えた「子どもの命」をともに考えたい。(大川小事故取材班)

■教育関係者の声

◎しっかりと訓練を

 保護者の深い喪失感と慟哭(どうこく)、わが子に何もしてやれなかった後悔と苦しみを感じた。震災当時、仙台市の小学校に勤務していた。児童の安全確保、校庭への避難、保護者や地域住民への対応に追われ、あっという間に45分が経過していた。
 大川小でも45分あったと言われるが、45分しかなかったのだ。非常事態では常に訓練していないことはできない。
 事故の背景は、きちんとした訓練をしていなかったことと、宮城県全体として津波への認識の甘さがあったと思う。(仙台市青葉区・元小学校講師・60代女性)

◎保護者の力借りて

 当日の教務主任の行動にはいくつもの疑問がある。校長不在時、教務主任が校舎内を見回りなどしていたというが、他の教員に任せるべきだった。
 学校における全責任は教員にある。ただ、人手が足りなければ保護者の力を借りて裏山の状況を点検してもらうなどすべきだった。
 石巻市教委による証言メモの廃棄は、国会で問題になっている「もりかけ問題」と同じで、犯罪ではないか。校長はメールを消去したというが、復元は可能なのではないか。(仙台市青葉区・元副校長・男性)

◎管理職の意識低い

 「先生がいないほうが助かった」。遺族の中にはこんな声が多いという。長く教育現場にいた身からすると、大川小の一般教職員に責任があるとはどうしても思えない。
 学校には組織があり、指揮系統が存在する。勝手な判断で動くことはなく、トップの判断を基に児童に対応する。今回の惨事の重大な責任は当時トップだった教頭にあったとしか思えない。管理職の防災意識の低さが大惨事を招いた。
 教務主任は自分自身だけでなく、校長や石巻市教委の責任につながる重要な事実を隠している。そのために口止めされ、重圧に耐えきれず精神のバランスを崩したのではないか。
 同じ宮城県の教員としてそう思いたくはないが、大川小事故はあまりにも不透明で、生き残った者に都合がいいように語られている。遺族が裁判を起こした動機は痛いほど分かる。
 地域の事情に熟知した地元紙だからこそ、裁判が終わっても真相究明を続けてほしい。このままでは亡くなった教職員だけに責任がかぶせられ、真相は闇に葬られてしまう。(宮城県高校教員・60代男性)

■教務主任への思い
 特に関心を呼んだのが、学校にいた教職員11人中、唯一助かった男性教務主任(56)を取り上げた第1部。震災後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、震災から7年たつ今も病気休職中の教務主任に対し、さまざまが意見が寄せられた。

◎誰もが戸惑い必死

 生き残った先生を擁護する内容も多くあり、とてもよかった。未曽有の大震災で誰もが戸惑い、生きることに必死だったと思う。
 震災当時、何をどうすればよかったのか自分も記憶がない。きっと先生もそうだったのだと思う。先生には生き残ったことを後悔してほしくない。
 先生のおかげで自然の楽しさや怖さを学んだ。自然を甘くみてはいけないと強く思ってもらえればいい。(女性)

◎真実を話すべきだ

 震災から7年たつが、分からなかったことばかりで驚きながら読んでいる。助かった命もあったと思うと、悔しくて涙が止まらない。
 助かった子どもがメディアで話している。教務主任は教育者として、人間として事実を話すべきだ。遺族の心情を思えば話すのは当たり前だと思う。
 一日も早く事実を明らかにし、謝罪すべき点は謝罪し、遺族の気持ちを楽にしてあげてほしい。(塩釜市・女性)

◎学校に問題あった

 大川小の教員たちは、勤務場所が決まった時点で地理や歴史を勉強したのだろうか。あれだけの大揺れで、児童を校庭に待たせて避難場所を議論していたのが信じられない。
 石巻市教委は証言者のメモを廃棄するなど、生き残った教務主任1人に罪をなすりつけようとしている感じがしてならない。前任地の保護者は「教務主任の言うことを聞いていればみんな助かった」と話す。
 教務主任が悪かったから、児童たちが犠牲になったのではない。学校側に問題があったのだと思う。教務主任には「九死に一生を得て本当によかったですね」と言いたい。(大崎市・80代女性)

■救えなかったのか

◎山登るべきだった

 昨年5月、大川小を訪れた。児童が目指した北上川右岸の堤防道路(三角地帯)付近に「愛馬の碑」「鳥獣の霊供養」などの石碑があり、自然に対する感謝、自然に寄り添う地域住民の気持ちが伝わってきた。
 この目で確かめて思ったのは、なぜ山へ登れなかったのかということ。実際に歩いても2分ほど。緩やかな傾斜を確認できた。三角地帯の先は道路は低くなる。急な山の斜面があるだけで、どこへも行けない場所だと分かった。
 けがには重傷、軽傷などさまざまなレベルがあるが、水の事故には「生」と「死」しかないと思う。大人たちは山に逃げたことによる軽傷を恐れ、「死」を忘れたとしか思えない。(東京都・会社員・50代男性)

◎怒りしか湧かない

 大川小事故とタイトルにあるが、本当に事故そのもの、そして事件でもあると思う。大川小の報道に接するたび、憤りしか湧いてこない。とにかく大人が「山に!」と、子どもたちを引っ張り上げて、逃げていればよかった。絶対にそうすべきだった。(仙台市宮城野区・60代女性)

◎避難指針が命救う

 東日本大震災は悪夢のような大災害だった。音楽活動を通じて、石巻市や宮城県南三陸町の被災者と関わってきたが、大切な家族を失った遺族の悲しみは計り知れない。
 大川小の目の前にあれほど大きな北上川がある。きちんとした避難マニュアルはあったのだろうか。命綱である避難マニュアルさえ、しっかりしていれば助かった命ではないか。
 校庭に待機させられ、「帰りたい」と願っていた子どもたち。大川小を訪れるたび、その思いが今も止まっている気がして胸が苦しくなる。関係する大人たちは心から謝罪し、学校の管理をしっかりしていただきたい。(大崎市・女性)


2018年03月04日日曜日


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